
習字を習いはじめたきっかけベスト3【児童編】
(現役世代の子どもたちによるリアルな声。)

書家
片岡 青霞
プロフィール
「お習字を習ってみたい」 何事も何かをはじめる時には必ずその物事をやってみようと思った理由やきっかけがある。 理由やきっかけは人によって様々であり改めて聞かれると自分はなぜお習字をはじめたのかという振り返りをする良いきっかけにもなる。今回は実際にお習字を習っている現役の子供たちにアンケートを実施し、何をきっかけとしてお習字を習いはじめたのかを聞いてみることにした。面白いことに1位と2位の結果が僅差であったこと。最も多かった子供たちがお習字を習いはじめたきっかけ上位ベスト3を紹介する。
1.字が上手に書けるようになりたい

子ども達にお習字を習いはじめた理由やきっかけのアンケートを実施した結果、1位は「字が上手に書けるようになりたい。」というものであった。子供たちは学校生活の中で日々授業を受講しており、勉強するにあたっては自ら書き記しノートを取っている。昔ながらの日本では、筆記用具としてこの書き記すという行為をするために鉛筆ではなく筆を使用してきた。年配の方々が書道を習ったことがなくてもペン字や筆がうまい理由はここにある。 現代は、筆記用具として常に筆を使うということからは離れているが、書き記す行為として子供たちは鉛筆を使用している。パソコンやタブレットを活用した授業も普及はしているが、筆記の割合が今でも非常に高く常に自分で書いた文字を見る機会に多く触れるようになっている。
この日々自分で書いた文字を視界の中に入れることで、文字に対する興味関心が湧いたり、友達の書いた文字を目にしたり、もっと上手に書けるようになりたいなと感じたりする十分なきっかけとなっている。せっかく書くならもっと上手に文字を書けるようになりたいと思うことはごく自然なことである。その傾向は、小学3年生からはじまる書写の授業においてより関心度合いが高まっていく。また高学年になると、文字を書くことは大人になっても役立つものであり綺麗に書けた方が後々自分のためにも良いと少し先を見通した考えに変わる子どももいる。字が上手に書けるようになりたいという理由一つとっても年齢によって変化する。子どもたちは大人が思う以上に文字に触れる機会が多いということを示している。これらのことから文字を見る、書く、学ぶ機会が子どもたちの生活の中において非常に身近な存在であるということがわかる。
2.親御さんがやっていて勧められた

2位は、「親御さんがやっていて勧められた。」というものであった。 両親のどちらかが幼い頃習字教室に通っていた経験があり、自分が子どもの頃に習っていた習い事の中で改めて大人になり振り返ってみた時に習字をやっていて良かったと思えるそんな体験をしている親御さんのケースとなる。そのような場合、 自分がやっていて良かったと思えることは当然ながら子どもにも勧めたくなるものである。未経験者が述べるよりも経験者が語る方が説得力がある。
1位と2位はほんの僅差であったが、多くの子供たちが親御さんからの勧めをきっかけとして習字を習いはじめたと答えてくれた。その中で一つ興味深いことが判明した。父親よりも母親からの勧めによりはじめたというお子さんが圧倒的に多いというものであった。子供の頃はそこまで重要だと感じなくても大人になってからやっぱりあの時やっておいて良かったなと思えることはたくさんある。これらの共通点は、当時はそこまで重きを置いていなかったこと。大して重要だと思わなかったことが実はとても大切なことであったということを示している。親御さんの中には、昔習字教室に通ってはいたがそんなに長くは続けなかったということを後悔している人もいる。あの時もっとやっておけば良かったという後悔を自分の子供にはしてほしくないという気持ちもあるだろう。人生の先輩として子どもよりも様々な経験と年数を生きているからこそ芽生える温かな親心である。
こんなにも心温まるエピソードの中、半強制的に親に拉致られ体験レッスンに連行されたという男の子もいた。まず、お世辞にも良いことを書こうとせず実に正直である姿に感銘を受ける。さて、この子が今どうなっているのか気になるところである。実際にお習字はどうかと聞いてみた。“まぁ…、ぶっちゃけ、楽しいと言えばたのしいけどね…。”と少し照れくさそうに答えてくれた。毎週のお稽古をとても楽しみに来てくれる。お習字の授業が楽しいということを口頭で伝えてくれる。 何がきっかけになるかなんてわからない。そう子供たちが教えてくれている。
3.兄弟が先にやっていて自分もやりたくなった
3位は、「兄弟が先にやっていて自分もやりたくなった。」というものであった。先に兄弟姉妹がお習字に通う姿を見ることで自然と興味関心を抱くことになる。 夏休みや冬休みの宿題として自宅で少し大きな作品を書いている様子を見て、自分もやってみたいなと思うきっかけが芽生えることがある。また、学校から帰宅し習字バックを片手に兄弟が習字教室へ向かう姿を毎週見ていたり、習字教室のお稽古の話を兄弟から聞くことで興味関心を抱いた子どももいる。見ることや聞くという行為は、とてもわかりやすく五感を通じてストレートに私たちの中に入ってくる。それを先に見せてくれたのが自分にとって最も身近な兄弟姉妹であったということである。きっかけは兄弟姉妹かもしれないが、その前には親御さんが昔習っていた経緯があるかもしれない。
これらのことから何か物事をはじめるに当たっての理由やきっかけというのは必ずしも 1つとは限らず、複数のことが繋がっていることがわかる。人を通じて知ることがあることを考えると改めて人の存在の有難さがわかる。きっかけや理由は体験や経験を通じた出来事かもしれないが、それらは人が運んできてくれた価値ある宝物と言えるのではないだろうか。あなたの元に誰がお習字を届けてくれたのだろうか。振り返ってみよう。
4.お習字をはじめた初心の気持ち

子どもたちにお習字を習い始めたきっかけや理由を聞いてみた結果。1位「字が上手に書けるようになりたい。」2位「親御さんがやっていて勧められた。」3位「兄弟が先にやっていて自分もやりたくなった。」となった。ランキング上位3位はこのような結果となっているが、他にどのようなきっかけや理由があってお習字をはじめた子がいるのか。少数派の意見としてこのようなきっかけと理由があった。
(少数派意見)
・学校の先生に勧められた。
・ 小学3年生から習字がはじまることを聞いたから。
・クラスの中に習字を習っている人がいたから。
・友達が誘ってくれた。
・書道展覧会での受賞をきっかけとして。
・ 習い事を探していた。
・体験レッスンに来たら楽しかったから。
・ 極めたいと思ったから。
・ 将来、 書道の先生になりたい。
お習字を習うにあたって子どもたちはたくさんのきっかけや理由との出会いがあったということがわかる。どれも素敵で立派なきっかけである。
ちなみに、私が習字を習いはじめたのは小学3年生の時。担任の先生が書道を学んでいる方で授業がとても楽しかった。子どもの頃の私は自信がなくひょろひょろとか細い字を書いていたが、“習っていないのに上手だね!”の言葉をきっかけとしてここから私のお習字人生がはじまった。今思えば最大限のお世辞であったことだとわかるが、 習っていないのに上手なんだとしたら習ったらもっと上手になれるかもしれないと思った。単純細胞の塊であった私は素直にその言葉を受け入れた。もしあの時、疑り深く頭でっかちで素直さが欠けていたら今の自分は無いことだけはハッキリとわかる。全ては自分の勘違いからスタートした。何がきっかけになるかなんてわからない。 だからこそ人生は面白い。