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書道を習いはじめたきっかけベスト3【大人編】

書道を習いはじめたきっかけベスト3【大人編】

(子どもとは異なる大人になってから書道をはじめた理由とは。)

書家

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片岡 青霞
プロフィール


「書道を習ってみたい。」 何事も何かをはじめる時には必ずその物事をやってみようと思えた理由やきっかけがある。これは子どもたちだけにではなく大人も同様とある。今回は実際に書道を習っている現役の大人の生徒さんにアンケートを実施し、何をきっかけとして書道を習いはじめたのか聞いてみることにした。結果は、子供が習いはじめたきっかけや理由とは少し内容が異なるものとなった。最も多かった大人の生徒さんが書道を習いはじめたきっかけ上位ベスト3を紹介しよう。

1.文字へのコンプレックス、上手に書けるようになりたい

実用書道コースによる賞状書きのお稽古風景。

 大人になってから書道を習いはじめた理由やきっかけのアンケートを実施した結果、1位は「昔から文字へのコンプレックスがあり上手に書けるようになりたい。」という声が最も多かった。
 
 子供にも同様のアンケートを行った結果、1位は「字が上手に書けるようになりたい。」という内容であったが、大人のケースとなると幼い頃から自分のクセ字にコンプレックスを感じている人が多く、以前から自分では気づきわかってはいたがそのままとしてしまった人が非常に多いという内容のものであった。これらのことから、苦手なまま大人になってしまった自分に対する後悔が多少なりとも含まれていることが見てとれる。子どもの頃にはそこまで重要だと感じなかったことなのに、大人になってから改めて事の重大さを知ることは実に多くある。文字を書くという行為は、その中の1つと言っても過言ではないのかもしれない。

 子供の頃よりも大人になってから人前で文字を書いた時に自身の拙い文字を目にすることで恥ずかしさを感じている人が多い。子どもの場合、生まれてまだ数年しか生きていないため誰もが美しい文字を書けなくても致し方無いと感じるが、 大人のケースとなるとそうはいかない。 少なからず自分の年齢分(年数)文字を書いてきたことになるのに、数十年生きた中で未だに文字が汚いとなるとこれまでの人生何に時間を使い、一体何をやってきたのか。と足元を見られてしまうことがある。文字へのコンプレックスを長い間抱きながらもずっとそのままにしてきた。もうこれ以上そのままにしたくない。大人の場合、文字が上手に書けるようになりたいということだけではなく、その前提として長年抱えてきた自分の文字に対するコンプレックスが書道を習いはじめる理由やきっかけに大きな影響を与えている。全ての人が達筆までとはいかなくてもまともな文字を普通に書けるくらいのものは必要だと感じている。人に不安を与えるような文字では大人として恥ずかしい。人柄や信頼は文字からも十分伝わる。きちんとしたいと思う気持ちがあるということは、人としてごく自然なことと言えるのではないだろうか。

2.中途半端に辞めたことへの後悔

これで良かったのか。誰しも振り返った時に人生の後悔をする瞬間がある。後悔の無いようにするためには辞めるにしてもやり切って辞めること。中途半端さが一番の後悔を生む。 photo by Photo AC

 2位は、「中途半端に辞めたことへの後悔」となった。何を中途半端に辞めたのかと言うと、子どもの頃習字教室に通っていたが切りの悪いところで途中退塾をした経験がある人たちのことを指している。道半ばで辞めてしまったため再チャレンジしたいと思い立ち、大人になってから書道を習いはじめたというものである。
 
 ここで興味深いことは、子供の頃に中途半端なところで習字を辞めた経験があるという共通点である。長いこと一つのことを続けていると必ずと言っていい程ターニングポイントとなる時がやってくる。自分は大丈夫。 自分はずっと習字を続けられる。そう今強く思っている人たちでさえも必ず全員に今後続けていくべきかどうか悩む瞬間が必ずやってくる。それが人生において一回の人もいれば、人によっては数回そのような場面に遭遇する人もいる。 習字が好きならずっと続けられるでしょ。と単純に思う人も多いかもしれないが必ずしもそうではない。好きでも続けられないということがある。子どもの場合、習字教室に通うことが好きだったが引っ越しによって辞めざるを得なかった子。 中学で部活がはじまり忙しくなり途中で退塾した子。 受験のため時間が取れなくなった子など様々なケースがある。この子たちは習字を嫌いになったのかと言うとそうではない。 自分の人生における数ある選択肢の岐路に立った瞬間だと言える。選択肢に正解も不正解もどちらもない。自分で選んだのであればそれが正しかったとそう思えるような人生を生きるのが正解だと思っている。
 
 アンケートを実施した中に、子どもの頃習字教室に通っていたが 2~3年で辞めた。楽しさも難しさもわからない段階で辞めた。中途半端な切りの悪いところで辞めた経験がある人たちというのは、どこか自分が中途半端に物事を辞めたモヤモヤした気持ちを何年経っても心の奥底に抱えていたこととなる。あの時中途半端にして終えてしまった自分への後悔をずっと心のどこかに抱いていたことを考えると少し苦しくも感じる。“後悔せずに生きよ。”一度は聞いたことがある言葉だと思うが、 口先だけで言うことは簡単。実際に行うことがどれだけ難しいのかを教えてくれている。 物事には始まりがあれば必ず終わりがある。 これは自然の摂理であるが、自らの選択で中途半端に辞めた人が抱く後悔は思った以上に根深い。
 大人の生徒さんの中には、子供の頃の楽しい習字経験があり再びはじめた人もいるが、一方で中途半端に辞めた経験がある人は今度はそのような後悔が無いようにという思いを胸に抱いている人が少なからずいる。大人になってからの前向きなチャレンジはとても頼もしい。

3.時間に余裕ができた

 3位は、「時間に余裕ができた。」であった。日々の日常生活に少し余裕ができ、集中する時間が欲しかったという理由である。
 大人になると、ほとんどの人が社会で仕事をすることとなる。家庭を持てば子育てに明け暮れ毎日忙しい日常を過ごす人も多い。 忙しい毎日の中でゆっくり何かに集中する余暇や時間、 自分の楽しみを持ちたいと思うことは人間の本能が求めていることと言える。 忙しい職場から転職して時間にゆとりができた人や、子育ての一番大変な時期を終え自分の時間をもちたいと思えた人。書道を習いたいのなら習いに行けばいいのではないかと思うかもしれないが、誰もが習えるものではないと思っている。そこには、自分を取り巻く身の回りの環境が整ってはじめて習ってみようかどうかの判断となる。全ての人に平等に24時間与えられている。日々、仕事や家庭で頑張っているからこそ自分の好きなことへの時間を設けたい。書道を習えることが自分の楽しみやご褒美となっている人も多い。また、書道は一人でもできるものかもしれないが、教場という空間で同じ趣味や志を持つ仲間と時間を過ごすことによって新たなコミュニティーが生まれる。すでに書道に興味関心がある人たちの集まりのため互いに打ち解けるのも早い。共通のものが一つあるということで身近な存在に感じられるのである。大人になってからも勉強したい、学習したいという意欲的な人たちは多い。子供の頃とは一味も二味も違った学びの楽しさを書道を通じて大人の生徒さんたちは感じているのかもしれない。

4.大人になってからのチャレンジと挑戦

大人になってからどれだけやり切った。と思える経験をしてきているだろうか。(青瑤展2022錬成会風景)

 大人の生徒さんに書道を習いはじめた理由やきっかけを聞いてみた結果。1位「 文字へのコンプレックス、上手に書けるようになりたい。」、2位「 中途半端に辞めたことへの後悔」、3 位「時間に余裕ができた。」であった。 他にはどんな理由やきっかけがあったのか。 少数派のものとしてこのような意見があった。

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(少数派の意見)
・ 何かをしたい。
・ 新しいことにチャレンジしたい。
・ 気になっていたものに挑戦したい。

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  少数派の意見ではあるが、どれも前向きでポジティブな内容のものとなっていた。意外にも「チャレンジ」や「挑戦」という言葉が多く目にとまった。学習とは子どもの頃の義務教育期間内だけを指すものではない。大人になってからも何かを学びたい、何かをしたい、皆自分のやれることを探し求めているのかもしれない。人が一生の間にやることとやれることには限りがある。私たちは無限に生きることが不可能であり、必ず誰にもいつかは死が訪れる時がやってくる。死を目前とした時に、多くの人は様々な「後悔」を胸にあの世に旅立つとされている。あの時やっておけばよかったという後悔。時間はあった。少しのお金はあった。年齢も若くエネルギッシュだった。やろうと思えばやれたが、でもやらなかったという後悔はその一つとなる。まだ死の年齢に達していない人たちも多いかと思うが、私たちよりも先を歩んでいる人生の先輩方が列挙する最も多い人生の後悔の一つが、やれたのにやらなかったこととある。 私たちはまだ生きている。死を目前にした時に後悔する人生か、それとも思い残すことは何もないと思える人生か。自分の選択が人生を決めていく。

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