書道団体のリアルな現状!逆三角形のピラミッドがもたらすこれからの未来
(書道団体は存続できるのか。)
書家
片岡 青霞
プロフィール
近年、書道人口が減少している。昔の習い事といえば、水泳、ピアノ、書道、そろばんなどが主流ではあったが、現代においては様々な習い事があり、子どもから大人まで何を学ぶかの選択肢の幅は広がっている。時代は変わり昭和から令和時代の流れを見ても全国的に書道を学ぶ者の数は減少しているのだ。 今、書道業界が大きな問題に直面している。このまま進んだ先に公募展を開催している書道団体は現状をキープしたままこれからも継続することが果してできるだろうかという問題である。 逆三角形のピラミッドがもたらすこれからの書道団体の未来とあり方について考える。
生き残りをかけた戦い
今、書道団体によるこれからの書道の未来が問題視されている。各書道団体で問題になっていることは、書道を学ぶ者の減少により公募展への出品数の減少、団体のこれからと存続、役員仕事の負担、 若手の育成、後継者不在等が挙げられている。これらはある一つの団体だけが問題視されているということではなく、どの書道団体においても同じことが言えるかと思う。この問題は、今になって始まったわけではなく何年も前から問題視されていたことである。問題や課題は議題にはあがるが結局のところこれといった解決方法が定まらず、そのまま現在に至っている。それでもここのところこれらの声が急速に高まってきているのは、 まだ余裕があった数十年前とは比較にならないスピードで進行している問題についに待ったがかからなくなってきたからである。各書道団体においても同じようなことがあげられ、これからの自分たちの団体の行方を模索している。
日本の人口は1億2000万人。 先日、国立社会保障・人口問題研究所の発表によれば、50年後の2070年には、日本の総体人口は8700万人との推測が示された。ついに1億人を切る時もそう遠くはない話となってきている中、 総体人口が減少しているにも関わらず、各書道団体は現状維持をさせたい思いが色濃くなっている。ここに対するギャップを感じずにはいられない。人口が減少している一方で、たくさんの魅力的なモノ、サービス、商品がこれからの時代もたくさん生み出されることとなる。さて、どれだけの人たちが書道を選択するだろうか。 書道団体という小さな枠組みの中での話ではなく、 生き残りをかけたパイの奪い合いが今以上に増して繰り広げられることとなる。生き残りをかけるためにはどのようなことが必要なのだろうか。「強いものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残る。」という言葉は有名な話である。
逆三角形ピラミッドの構造
昔の書道団体は、三角形のピラミッド構造をしていた。下支えの人数がいるからこそ基盤のしっかりした三角形が出来上がる。ほとんどの会社や組織が取り入れている構造がこの三角形のピラミッドとなっているはずである。 しかし、 現在の書道団体はこの三角形のピラミッドが逆転した形、逆三角形の構造となってしまっている。 逆三角形でも組織として成り立つのではないか。これでいいのではないか。という声もあるかもしれないが、今現状書道団体を見ている限り、逆三角形の構想はメリットよりも デメリットのほうが多いように感じている。
逆三角形のデメリットとは一体何だろうか。逆三角形を形成するものは人数にある。新しく書道団体に入会する人が少ないということは、組織の運営上様々な問題が出てくることとなる。大抵の場合、今開催している書道展覧会をこのままの状態で維持しようということでこの壁にぶつかることになるのだが、各書道団体による展覧会を毎年開催しようとすることで施設レンタル料、 運営費、人件費、広告宣伝費などが発生する。最も大きな費用としては、展覧会を開催するための施設レンタル料となる。この費用は所属している者全員で賄うのだが、新しく書道団体に入会する人が少ないということは、一人一人の負担が大きくなるということを意味している。 そうすると、通常の年会費や維持費の高騰、受賞者をむやみに増やし所属をさらにあげることで何とか不足分の資金を集めるという方法を取ることになる。この方法は、一時の痛みを止血することはできるが、これを繰り返すことでやがてさらに大きな痛みを伴うこととなる。やる気に満ち溢れ意欲的だった人も、特に作品への評価は高くないにも関わらず埋め合わせのために授かった賞なのかと思ったらこの方たちの熱量はどうなるだろうか。 これまで年に数名しか授かることができなかったものなのに大量に授かってしまったら、その賞への重みや価値は以前と同じだとはたして言えるだろうか。当然同じだとは言えない。 上を目指すことへの憧れがなくなり、これは作家のやる気や意欲に影響を与える。結果、 相対的な価値が下がることで一生懸命やろうとする者は離れ質も落ちるということに繋がっていく。
これまでの執着を捨てられるか
公募展を開催している書道団体においては様々な問題や課題があるが、まずこれからの書道団体における最良の目的は一体何なのかを決める必要がある。 各書道団体において伝統ある書道団体を存続させたいのか、そうでないのか。これが第一としてあげられるのではないかと考えている。これは当然の話と思えるかもしれないがこの点は最も核となる大切な部分である。そもそもどちらなのか。 大抵の場合存続させたいという方向に傾くと思う。ここを固めた上で次の問題や課題への議論に移るべきであり、一番譲れないものは何なのかがあやふやな状態で話を進めると何も解決しない。
ほとんどの書道団体において、これまで牽引してきた方の高齢化や若手不足、書道から離れる人が多いことにより公募展を今と同じ規模で開催することに対して負担がかかっている。団体の存続をこれからどのようにしていけばいいのかという点が 一番大きな問題であるが、このまま何れ地盤が傾くことが分かっていながらギリギリのところまで継続し続けることは果して美徳だろうか。
どの部分によって痛みを伴い、構造がおかしなことになっているのか。 例えば今の書道展覧会方式にこだわる必要はあるのか。 施設レンタル料の維持が大変なのであれば、 開催する展覧会会場を今後検討することが必要なのではないか。どの書道団体も大きな会場で展覧会を開催しているからまるでそれが当たり前のようになっているかもしれないが、厳しいのであれば開催会場を変えることは打倒な判断である。一旦箱を小さくし例え書道人口が減ったとしても密の濃いものを提供することで層と質を固め再度大きくすることは可能である。書道人口も増やしたいけれど、書道の質も落ちているのでここも何とかしたいと同時解決を試みようとしているから話が前に進まないのではないだろうか。これまでこうだったからが通用しない時代を私たちは生きている。時代の流れは私たちが想像するよりも早く、今日も世界ではたくさんのイノベーションが起こっている。
存続をかけた未来の話、会議に若者がいない現状
このままの状態を継続すれば、公募展を開催する各書道団体の存続は厳しいものとなるだろう。
会議の議題はこれからの書道団体について。若者に対してどのように書の魅力を伝え、自分たちの団体に所属していただくかという内容の話となる。ここでふと疑問に思うことがある。この内容について話をするのに若者が不在の中会議が開催されているという点である。
きっと今の若者はこーだろう。 あーだろう。と勝手な解釈と憶測によって話を進めるものだから全くと言っていい程解決に至らない。そもそも論の問題となるがどの団体もこれをやってしまっているのではないかと思う。空想や妄想話をするのではなく継承して今後の未来を生きる若者のリアルな声に耳を傾けることは第一だと思うがいかがだろうか。いつの間にか自分たちの書道団体へどのようにして入会してもらおうかという自分たちをメインとした話になってしまっているように感じる。そもそも今の若者がどのような生活を送っているのか把握しているだろうか。何に興味関心があるのか、仕事に対する姿勢や思い、趣味や娯楽として自由に使うことができる金銭が1ヶ月にどのぐらいあるのかということを会議出席者は果たして把握しているのだろうか。 大御所やベテラン先生クラスであれば特に自身が金銭に困ることは無いかと思うが、大金持ちのボンボン坊ちゃんやいいとこのお嬢さん、はたまたイレギュラーな例を除き、若手が書道につぎ込むことができる金銭は決して多くはない。 物価は高騰している。税金はこれからもあがる。生活スタイルが変わっている。根本や視点がずれていたらいつまでたっても問題が問題のままである。方向性は果たしてこれで合っているのだろうか。今日もこれからの書道団体継続についての話が若者抜きで行われている。