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書道上達のために必要な生活神経の磨き方

書道上達のために必要な生活神経の磨き方

(書道を技術のみで考えてはいけない理由とは。)

書家

書家
片岡 青霞
プロフィール


 書道が上手になりたい。今よりももっと書けるようになりたい。すでに書道を学んでいる方やもしくはこれから新たに書道をはじめてみようとしている方々にとって、少なからずこのような気持ちになることはごく自然なことと言える。書道には書く技術を要するが、この世界は決して技術だけで成り立っているものではない。技術的なものばかりに目がいくことで本来最も重視すべきことが疎かになってしまっている人も少なくはないと感じている。今回は書道の技術に関する話ではなく、上達している方々が技術以上に持ち合わせている大切な要素にはどのようなものがあるのかということに関して述べてみたいと思う。

気になるあの人物はどんな人

柿下木冠遺作展

 あなたの周囲には、書道において一目を置くような人物は存在するだろうか。直接的な知り合いではなくても名前と顔は知っている、書道展が開催されればいつもあの人の作品が気になる、必ず目を通してくるという人物がいるのであれば、それはどこかあなたが気になっている人物と言えるのではないだろうか。ここで言う気になるとは、単に書道作品が良くて気になっている場合もあれば、もしくは人物として魅力的であり気になっているということもあるかと思う。ご自身が書道展に行き作品を鑑賞してくる中で、気になっている人物の作品は必ず目を通してくるのではないだろうか。

毎回ということはないが、かなりの高確率で書道展に出品してくる書作品が良いのであれば、同時に書き手がどのような人物であるのか気になるかと思う。また、どのようにして毎回の作品書きをしているのか、普段の生活はどのようにして過ごしているのかということも考えたりするかもしれない。書作品は人の手によって手掛けるものであり、その人の人柄がそのまま表れるものと言える。そのため、いつも優しい人は穏やかな線を、いつも怒っている人は固い線を引いている。表現の豊かさや発想、アイディアなども含めて、その人自身がもち合わせているものがすべて形を変えて出てくるものが書作品ではないかと考えている。そう考えると、気になるあの人がそのような方なのか、益々興味関心が沸いてくる。

生活神経とは

 書道の上達をしたいなら、「生活神経」を磨け。と言われたことがある。「生活神経」という言葉は一般的ではないが、造語として理解していただけたらと思う。この「生活神経」とは、書道の上達には、技術の前に普段の生活をしっかりとする必要があるということを示している。生活とは、皆さんが日々過ごしている家庭や仕事に関するものがメインとなるかとは思うが、普段の生活を過ごしながら人との関わりや接し方、礼義や礼節をきちんと心得ることであると理解している。

書道教室に通うということは、ほとんどの方々が何を目的としているのかと言えば、少なくとも今よりも書けるようになりたいという願望をもっている。この書けるようになりたいには個々に度合いがあり、一人の時間を楽しみたいという方から書道展での受賞や講師を目指している方までとかなりの幅がある。書けるようになりたいということは技術を学び手にするということに繋がっているのだが、中には技術だけを必死に習得しようとして、生活神経が整っていないままそのことに気づかずにひたすら技術だけにのめり込む人の数も少なくはない。

書作品がいい人というのは、これまでに学び割いてきた時間と習得してきた技術をもちろんある程度はもち合わせているが、決して技術だけが素晴らしいと言えるものではない。技術が先なのではなく、生活神経が備わった人物であるからこそ、その方がもち合わせる技術と中身から醸し出すものが重なり合い豊かな書作品へと発展していく。いい書作品を書きたいのであれば、生活神経を身につけることは必須であると考慮している。

ひとつの挨拶からわかること

御祝や御礼の時はもちろん、郵送物を送る際に一言添えること。物だけを送るのではなく、相手への心配りとして手紙や一筆箋を活用する。photo by Pexels

 生活神経とは、普段の生活を過ごしながら人との関わりや接し方、礼義や礼節のことを指している。これはどのようなものなのか、“挨拶”を用いて具体例を紹介してみたいと思う。

いつも教室に入室してくる際に、ほとんどの人は挨拶をして入室をするかと思うが、先生とのアイコンタクトを自然にして入室できている方は一体どのくらいいるのだろうか。挨拶という言葉だけを述べていて、実際に先生や他の生徒さんと顔を見合わせることができている人の数は意外と少ないように感じている。日本人は他の外国人と比較しても恥ずかしがりやで控え目だからという意見もあるかもしれないが、人に顔向けが出来ずにした挨拶は個人的には挨拶とは言い難いものと考えている。いつもアイコンタクトをする人、いつも下を向いたまま言葉だけを述べている人。たかが挨拶、されど挨拶。大人になると、誰かに何かを諭されたり注意されることは自然と減っていくことになる。注意をすることで人間関係に亀裂が入り相手が不快に感じたり、良好な関係性を継続できるかの保証がなくなる可能性があるからと言える。

挨拶とは、直接対面でお会いした時だけに交わされるものではない。メール、ライン、郵送時など間接的な場面においてのものも含まれる。普段の仕事においてはできることも他で無くなってしまったら勿体ないのではないだろうか。書道の場合においては、手紙や一筆箋を添えることが多いが、最近の方々は書道を習っていても、そのようなひと手間を省く傾向になってしまっていたり、もしくはそもそもなぜこれらが大切なものであるのかということがわかない方もいる。書道を学ぶということは人よりも「書く」ということに接することになるかと思うが、そのような方々が手紙や一筆箋、ハガキを使用せずに一体誰が活用するというのだろうか。甚だ疑問である。

技術の前に、生活神経を整えることの大切さ

技術のみを学んでいる方は、一見すると一生懸命な人と思われる。技術の前に土台となる部分に目を向けられるかどうかが今後の別れ道となる。photo by Pexels

 書道の上達を強く望むのであれば、技術習得の前に生活神経を整える必要がある。言い方を変えると、生活神経が整った人物であるからこそ技術を取得することができ、自分という内なるものからいい書作品への発展をしていけるということである。

書道展で一時の上位受賞を果たしたにも関わらず、その後右肩下がりで泣かず飛ばすに終わってしまう人はとても多い。その理由として、自分は書けるんだ、すごいんだという驕りと慢心による勘違いをしてしまい、抑えきれない自己強欲や他者から認められたいという承認欲求、書に対する敬意と感謝の心の欠乏によるものがほとんどのケースをしめているように感じている。毎回の書道展においても、審査を通過していいところまではいくが、あと一歩が出ないという方ももしかしたら何かしらのものがあるかもしれない。

伸びていく人というのは、謙虚さをもちあわせ高ぶるような姿勢と態度は決して示さない。自分の努力を見せびらかすことはしないのでその方がどのような時間を過ごしているのかが一見わからないことがほとんどかと思う。そして、自慢もしない。相応しい自分であり続けるためにどのような人物であるべきかということを心得ている。生活神経が整った上で技術向上の研鑽をしている人には決して敵わない。これは、そのくらい生活神経が書道に及ぼす影響が大きいということを示している。技術ばかりを追い求めて、道を外れてはいないだろうか。たまには自分を俯瞰して見てみることも必要かもしれない。

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