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書道に大切な【雅号】の決め方

書道に大切な【雅号】の決め方

(自分にあった雅号とは。)

書家

書家
片岡 青霞
プロフィール


 書道展覧会で書作品やキャプションを見てこれは本名なのだろうか?と疑問に感じたことがある人は多いのではないだろうか。書道の場合、本名で活動する人もいるが雅号を用いて活動している作家もたくさんいる。苗字はそのまま名前の部分を書道で使用する雅号(別名)を採用するというケースである。雅号を使用している方々はいかにして自分の雅号を決めたのだろうか。既に雅号をお持ちの方もこれから新たに雅号を決めていく方にも役立つ自分に最も適した雅号の選び方とはどのようにして決めていけばよいのかという点も交えて紹介してみたいと思う。

雅号とは

書作品には最後に押印をする。これがあることで自身が書いた証となる。(「照」・月あかりをイメージして右上に丸印を使用。)

 雅号とは、書人、画家、文筆家などが本名以外につける風雅な名のことを指す。言わば別名のことである。全ての書人が雅号を採用しているということではなく、雅号を採用して別名を名乗ることもできれば、名を変えず本名のまま活動されている方もいる。本来生きている中で親から授かった名を解明するということはよっぽどのキラキラネームを授かった時以外にないのではないかと思うが、雅号ではもう一人の自分として自分自身で名を決めることができる。そう言われるとなんだか特別感を感じるのは私だけではないはずである。これまでの過去の歴史を振り返っても名が知れる有名な人が、実は本名ではなく雅号を用いて作家活動をしていたという話はよくあることである。また、本名だと思っていた人が実は本名ではなく雅号であったということもある。雅号を用いることで作家として活動している時の自分と普段のプライベートの自分とを使い分けている人も多くいるのではないかという印象を受けている。

 雅号の 歴史は中国の風習から伝わったものとされている。日本においては、 江戸時代まで個人がもつ名として性、諱、苗字、通称、字(あざな)と 複数所有することが認められていた。しかし、 明治時代になると氏名が戸籍に記録されたことをきっかけとして複数の名を持つことがややこしくまた分かりにくくなってしまうために禁じられるようになった。これらのことから名を複数用いる歴史がありその名残が雅号として今に通じているということがわかる。

雅号の決め方

雅号の取得方法①自分で決める
②師匠から授かる
文字数2文字
(基本漢字2文字。1字、3字も可)
雅号に人気の漢字月、雲、華、水、龍、葉、心、風、翔、雅、香、光、流など。
雅号の決め方1. 郷里
2. 嗜好
3. 風貌、雰囲気、イメージ
4. 好きな漢字(部首)
5.色、カラー
6. 師から一字授かる
その他・2文字のバランス(楷書・行書・草書体)
・読み、音の響き
・他の人の雅号参照
雅号の決め方


 私も雅号をもちたい!と思う方もいるだろう。雅号(別名)として書道をやることで新たな気持ちでスタートを切るきっかけにもなるかもしれないし、書人とプライベートの使い分けをするにも最適だと考えている。雅号をもちたいと思ったらまずはじめにどのようにして取得をすればいいのだろうか。まずはじめに、自分がどこかの団体や教室に所属している際には所属先や講師に尋ねてみることがいいだろう。団体や教室によって様々な方針や決まりがあるため最初に尋ねることが必要である。所属先も無く個人で書道を学んでいる方であれば自分で好き勝手に決めることができる。

 雅号の取得方法としては、①自分で決める。②師匠から授かる。主にこの2つとなる。雅号を決めると言ってもそんなに簡単にすぐには決まらないものである。親が子に名前を決める時のことを想像してみてほしい。愛する我が子に対して、この子に最も良い名をつけてあげたいと誰もが思うはずである。いくつもの漢字や読み、候補を並べて比較をするはずである。名を決めるということは、時間を割いてじっくり考えるとても大切な作業だと考えている。

  昨今では、雅号を 1つにしている人が多いが昔は複数の雅号を所有する人も多くいた。だが、今では複数の雅号を所有している人は少ない。理由としては、 自分の名が作品出品の度にコロコロ変わっていると名が紛らわしくわかりにくいことや、団体に所属する際には名の登録が必要なため基本的には1つの名前となることがあげられている。これらの理由から現在では雅号は1つに絞るということがスタンダードとなっている。

昭和の三筆・手島右卿先生の雅号の由来

手島右卿先生が作品に愛用していた自用印

 昭和の三筆の一人に手島右卿という人物がいた。 高知県出身の日本の書家である。文化功労者であり日本の書に貢献した人物として後世に大きな影響を残している。この方の本名は南海巍(なみき)。「右卿」(ゆうけい)は書人としての雅号となる。「右卿」という雅号の由来は一体どのようにして決められたのだろうか。

  書道を学んでいる方であれば、誰もが中国の有名な二大書人をご存じのことであろう。一人は王羲之。もう一人は顔真卿のことである。東晋時代(300年~400年代)王羲之がこの世に与えた影響は絶大であった。書道を芸術の領域まで高め、この方が亡くなった後も多くの書家が王羲之の強い影響を受け王羲之の書(王法)を 学んでいる。王羲之は書家、政治家、また将軍位の一つとして右軍将軍となり王右軍とも呼称されていた。唐時代(600〜900年代)四大家の一人として活躍したのが顔真卿である。壮絶な人生が書に与えた影響ははかり知れなく、書家、政治家、武将としても知られている。顔真卿の書(顔法)を確立させ特徴ある数々の書を世に残した人物である。

 「右卿」(ゆうけい)という雅号は、王羲之(=王右軍)の「右」と顔真卿の「卿」を組み合わせてつくられた雅号だとお聞きしたことがある。私(手島右卿)は王羲之のようでもあり、顔真卿のようでもある。中国の二大書人を合体させて自分の名とした雅号。これらのことから自分にとって強く意味のある雅号であるということが伺える。雅号をつけるに際しては自分にとっての意図や意味するものを考慮して名を決めることが大切だと感じている。

自分にあった雅号を見つけよう

左・白文。右(残3)・朱文。作品にあわせて印を選択する。

 雅号とは、自分の別名としてつける新たなニックネームのようなものである。生まれた時には誰もが親から名を授かり既に自分の名が決まっていたが、今度は自分で自分の名を決めることができるのである。これが雅号によって可能になるということである。 たくさんの漢字の中から最も自分に適したものを見つけるのは大変な作業であるが、師匠や仲間の力をお借りして自分に最もいい雅号をつけてみよう。ここで一番ネックなことが、自分で自分のことがわからないという人の数が実に多いのではないだろうかという点である。人から見た時と、自分で思っている自分自身とは必ずしも同じとは限らない。なので、親しい人や交友がある人に自分のイメージや雰囲気を聞いてみるということはとても有効な手段だと思っている。

 最後に雅号の紹介例として、私自身の雅号をどのようにして決めたのかを述べてみようと思う。
 私の本名は「由美」(ゆみ)。自由に美しくをモットーとして親が名を授けてくれた。美しいかどうかはさておき、両親が思っている以上に自由人になってしまったことは予想に反して頭を抱えていることであろう。名の由来のような人物になるとはあながち嘘ではない。
 雅号は「青霞」(せいか)。20代前半からこの名で書活動をしている。実は雅号を決める際、既に別名が決まっていた。だが、何となく直感的にしっくりこないことが気になりギリギリになって白紙の状態から再度自分の雅号を考え直したことがある。書の先生から「あなた、霞のイメージが似合うわよ。」と言われ悪くないと思い候補にあがった。「霞」という文字は画数も多く、行草体で書いても横へ広がる文字のため、上下どちらかに採用する文字は画数が少なくスッキリする文字が適していると思った。当時から自分のイメージに、可愛らしいという女性イメージは一切なく性格もサバサバしておりどちらかと言えば男前。シンプルでカッコいいものが好きだった。「霞」の雨冠に通じるブルー。自然の空、海、青いものが好きだったこともあり「青」を選出した。雅号は音の響きも大切なポイントとなる。読みとしておさまりのよい「青霞」(せいか)という雅号に決めた。今では昔以上に、青いものが好きになったように感じている。自らの手で決めた名にはより愛着が沸くのだろう。とても気に入っている。探し求めれば必ず自分にあう名が見つかる。書活動におけるもう一人の自分を見つけてみよう。

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