
【書道教室の錬成会】一日の流れ
(錬成会を通じて学ぶべきこととは。)

書家
片岡 青霞
プロフィール
書道を学んでいる方なら「練成会」という言葉を聞いたことがあるのではないだろうか。 錬成とは、心身を鍛え人として作り上げること。練り鍛えること。また、心身と技術を立派なものにし、より良い状態へと育成するという意味合いがある。書道における練成会とは、皆が一同に集まり書道作品の書き込みをすることを指している。この錬成会という言葉は、書道だけではなくさまざまな分野において使用される言葉となっている。今回は、書道における錬成会の一日の流れから、普段の教室お稽古との違い、錬成会を通じて何を学ぶべきかということについて紹介していこうと思う。
書道教室で開催されている錬成会

書道教室で開催されている「錬成会」。 この錬成会とは、主に公募展や展覧会へ向けての書道作品書きをするために設けられていることがほとんどとなる。主な対象者は大人となるが、子どもたちだけに向けて行われているところもある。一日開催のところが多いかと思うが、中には1泊2日、2泊3日の合宿スタイルで開催しているところもある。合宿の場合、老舗の旅館を借りてすることが多い。宿泊施設だけではなく、書道作品を書けるスペースも要する場所となると昔に比べればかなり数が減ってしまったようだが、昔ながらのスタイルで継続しているところもある。皆で衣食住の生活を共にするため、より親睦が深まる。まるで、大人の修学旅行のような感じで少しワクワクする。
私がはじめて錬成会に参加したのは18歳の頃。ベテラン先輩方の荷物の量にただただ驚いたことを記憶している。 都内と田舎では錬成会をやるにあたっては異なる点がいくつかある。田舎であれば、大抵の方々が一人一台車を所有しているため、荷物運びも車移動ができ雨に濡れることもなく安心である。一方、都内となるとそういうわけにはいかない。車を所有している人の数も少ないため、基本は電車移動をする人たちがほとんどである。書道の錬成会となると、これらの用具(筆、墨、硯、紙)、作品、下敷きなどを全て抱え電車移動をするのだからこれまた大変なことである。 荷物を抱え現地まで行くのも大変だが、 さらに雨天の際には傘までささなくてはいけないのである。それでも都内でやっている人たちからすると、これが通常スタイルなのだから田舎者は勝てない。自身は幸いにもどちらも体験することができた。田舎者は、都会でやってる人たちのことを知らないからラクをしている。と口にした師匠の言葉が身に染みる。
錬成会の一日の流れ
8時30分~ | 入室 |
9時30分~ | あいさつ、作品書き |
12時~ | 昼食 |
13時~ | 作品書き |
14時30分~ | 休憩 |
15時~ | 作品書き |
16時~ | あいさつ、片付け、解散 |
書道の錬成会の一日とは、どのような流れなのだろうか。大抵の場合は、午前中からはじまり夕方までのところがほとんどとなる。当教室を一例にすると、朝9時半からスタートをする。時間前から続々と生徒さんが会場に来て書くための準備をする。朝の挨拶を終えてから各自作品書きをするため、硯の上で丁寧に磨墨をすることからはじまる。作品書きと聞くと、ただひたすら枚数の書き込みをするかのように思うかもしれないが、書道作品を書くにあたっては前後の準備をすることへも時間を要する。この日、作品ができるかどうかは分からないが、準備は常に万全の状態で挑むことが大切である。そのため、一つひとつの準備は作品の完成度を高めるためにも欠かせないものとなっている。

昼12時、昼食の時間。都内であれば、昼食時に外食をすることも多かった。田舎では、近隣にコンビニやスーパーが全く見当たらないようなところもあるため持参することが多くなるかと思う。周囲を山々や田んぼに囲まれカエルの合唱しか聞こえないような地で開催しているところもあるため、都内の方からすれば驚くような光景かもしれない。田舎の普通がここにある。
午後からも作品書きの時間となる。ずっと作品書きをしていると体力的にもキツイので、休んだりすることは自由となっている。作品書きに息詰まり散歩へ出掛ける人、お腹いっぱいで眠くなって寝ている人、他の方々の作品書きを見学している人など。特にこれをしたらいけないという決まりは設けていないので、時間の使い方は自由である。全体での休憩時間も設けているので皆と談笑し疲れを癒す。この何気ない時間こそが、実は一番大切なのかもしれない。
夕方まで作品を書き片付けをして一日の錬成会が終了となる。心地良い疲れといつもとは異なる時間の使い方。一日頑張って作品書きをした生徒さんたちの表情は、どこか充実感に満ちている。
錬成会に参加してくる人たち
ここで一つ疑問に思うことがある。書道の作品書きをするのであれば、スペースがあれば自宅でも十分できるはずなのに、なぜわざわざ休日に皆で集まり丸一日も時間を費やす錬成会をやる必要があるのかという点である。自分の大切な休日の時間を空けてスケジュールの調整をしなくてはいけない、 錬成会会場まで行くにあたり往復の交通費と時間がかかる。また、錬成会費も必要となる上に、重い荷物を抱えていくとなると手間暇がかかる。このように聞くとデメリットしかないように思えるかもしれない錬成会をやる必要があるのかという点である。もちろん、公募展や展覧会の作品書きのために参加しているということが前提となるが、果たして参加している人たちはそれだけの理由なのだろうか。この点について考えたことがないという人は、もしかしたら多いのかもしれない。
このように述べるのは、中には参加できるのにあえて参加をしない、顔出しをしないということを選択している人がどこにでもいることにある。物事にはすべてにおいて理由が存在している。錬成会に参加する人たちは参加する明確な理由をもっており、ただ単純に書道の作品書きだけをする場とは考えていない。
書における情熱が高い人ほど自分主体の参加型の人間であることは伸びしろがある人の共通点である。伸びしろがある人は、好き嫌いで物事の判断をしているのではなく、“自分にとって重要で大切なことを何か。”を基準にして判断をしている。だからこそ、「錬成」という名がついている。
なぜ、錬成会をやる必要があるのか

錬成とは、心身を鍛え人として作り上げること。練り鍛えるとある。また、心身と技術を立派なものにし、より良い状態へと育成するという意味合いがあるということを冒頭に述べた。
錬成会は、公募展や展覧会へ向けての書道作品の書き込みをする場となっているが、決して作品だけを書く場ではない。たとえ自分自身が作品書きをしていなくても、他の生徒さんや先生が書いている姿を見て学ぶことはたくさんある。自宅で一人作品書きをしていては、自分一人分だけの「気」しかないが、錬成会の場は参加した人数分の「気」のエネルギーがある。みんなの「気」をもらって書くからこそ、時に自分の力量以上の作品を生み出すことがある。これは自らの経験となるが、自宅で書いた作品よりも錬成会中に書いた作品のほうがなぜか最終的に選出される確率が高かった。同じようにして書いているはずなのに不思議な話である。また、普段の書道のお稽古では時間が限られているが、じっくり時間を費やすことで師匠からいただくアドバイスやその機会を多く得ることができる。いつも限られた人たちだけの交流から、他のクラスの方々との新たな交流も生まれる。同じ書道を通じての横のつながりや仲間の存在は、自身が息詰まった時に必ず力となってくれる。
普段の教場ではできないことをするのが、錬成会の場となっている。書道=技術。と捉えていると、心身が疎かになる。人との関わりやコミュニケーションは人を育てる。一生懸命に書道をやることは大切だが、心身を疎かにし技術だけを追い求めていると振り返った時に自分が望んだ状態とは異なる位置に立っていることがあるかもしれない。心技体(しんぎたい)。心、技術、体の3つのバランスが整った時に最大限の力を発揮する。作品とは、人が関わり、人によって生み出されるものである。最も大切なことを忘れないようにしていきたい。