
【書道用下敷き】罫線有り無しどちらがいいの?
(罫線下敷きのメリット・デメリット。)

書家
片岡 青霞
プロフィール
近年、多くの書道下敷きに罫線ありのものが出回っている。既に下敷きに線が引かれているものを一度は目にしたことがあるのではないだろうか。昔は全ての書道下敷きは無地だった。罫線下敷きが市場に出てきたのは15年前くらいからであろうか。 初心者であれば 罫線ありの下敷きを使用して書いたほうが上手に書けると思われがちだが、果たして書道をはじめる人が最初に手にするものとして下敷きは罫線有り無しのどちらがいいのだろうか。罫線下敷きのメリット・ デメリットを踏まえて紹介しよう。
罫線下敷きは誰の何のために作られたものなのか

はじめに、書道下敷きの罫線有り無しどちらがオススメかと問われれば、迷わず罫線なしの下敷きと答えたい。理由は、長期的目線で書道が書けるようになるためには、 罫線有りのものではなく罫線無しの下敷きを使用する必要があるからである。
現代においては書道初心者のために罫線ありの下敷きの需要が高まっているが、 初心者から上級者に限らず最初に何の用具を手にするかによってこれから先の書道の腕前が変わると言っても過言ではないことを伝えたいと思っている。
罫線ありの書道下敷きには様々な種類のものがある。①四角形4マス、②四角形4マス+名前、③円形など。 これらの下敷きには、既に中心線やマス目があるため、書道初心者でもバランスよく綺麗に書けるように文字の配置を分かりやすく示してくれている。こんなに丁寧に示してくれるなら絶対にこちらの下敷きの方がいいに決まってるのではないかと思う方も多いのではないだろうか。現に、子どもたちの書道バッグを購入すると最初からセットの中についている下敷きは罫線有りのものが増えてきている。初心者の人が何も迷うことなく罫線ありの下敷きを手にすることもごく普通のことだと考えられるし、初めからバックの中に入っているものが罫線ありの下敷きなのであれば、 この下敷きがスタンダードなものであると多くの人が認識をする。目先の手軽さを考えれば楽だが、人よりも書けるようになりたいのであれば長期的目線で物事を考えていく必要があるのではないかと思う。 誰でも簡単に罫線ありの下敷きであれば枠にはめて一見綺麗に見えるように文字の配列はできるかもしれないが、筆を扱うことができ書道が真の意味で書けるようになるかということは別問題である。
罫線有り無し下敷きのメリット・デメリット
罫線 | 有 | 無 |
---|---|---|
色 | 黒・紺・白 | 黒・紺・エンジ・白・グリーン |
マス目 | 4~6マス | 無 |
厚み | 1~3㎜ | 1~3㎜ |
メリット | ・文字の配分がしやすい。 ・半紙を折る必要が無い。 | ・文字を多種多様な造形に合わせられる。 ・バランス感覚が養われる。 ・文字数関係無く自由に書ける。 |
デメリット | ・全ての文字を正方形の枠内におさめる。 ・罫線下敷きでないと書けなくなる。 ・バランス感覚が身につかない。 ・マス目の文字配列数しか書けない。 | ・半紙を折る。 |
物事には必ず二面性がある。罫線有り無しの書道下敷きによるメリット・ デメリットをそれぞれに比較してみた。
昔無かった罫線有りの下敷きが世の中に出てきたということには何かしらの理由があるものと考えられる。その理由とは一体何だろうか。1つに、時代の変化が考えられる。近年、世の中の人たちは忙しい毎日を送っている。日本人の労働時間は世界と比較しても長時間ではあるが給料が上がらないためさらに働く。 少子化が進んだこの国における1人当たりの子供に対する教育費は上がり学業や習い事とやるべきことがたくさんある。大人も子どもも皆が忙しい日々を過ごしている。 忙しいということは時間がないことを意味するため、何かをすぐに早く効率的に行うことを考えることが多くの人々の基準となる。ましてや書道のように、じっくり座って集中して何かに時間を割くということからは遠ざかっている世の流れを感じる。手っ取り早く手軽にできることを考慮すれば、このような下敷きが市場に出てくるのも十分納得できる。
また、書道人口が減少していることや書道用具全般の価格が高騰していることからもこれまで売れていた商品が在庫余りとなり物が売れなくなっていることも考えられる。商品とは販売するためにあるため、時代にあった商品開発をすることで需要と供給のバランスを保っている。このようにして考えていくと、罫線有りの下敷きが誰の何のために世の中に出てきたものなのかが見えてくるのではないかと思う。 無地の下敷きでやってきた長年のベテラン勢からするとただ違和感しか感じられない。そんな先輩方もたくさんいるのではないかと思う。
書けるかどうかは下敷きのせい?

「いつもの罫線がないので書けません。」
書道教室の先生でこのようなことはないにしても、罫線有りの下敷きのみしか使用したことがない人にとってはこの感覚が普通となってしまうことがある。 罫線を頼りにこれまで練習を積んできたのであるから当然とも言えるが、果たしてこの状況で書道ができる、書ける、得意な人と言えるだろうか。
罫線ありの下敷きを使用し続けることで起こるデメリットとして、全ての文字が正方形になりやすい。最初から枠が決まっているため全ての文字を正方形の中におさめようとするが、ひらがな・カタカナ・漢字などこれら全ての文字が正方形の枠内にはまるということはまず考えられない。図形で例えると分かりやすいが、〇、△、▽、◇、▢、▭など文字の造形は一つひとつ異なるのが一般的である。これに加えてひらがなやカタカナよりも漢字を大きくする文字の大・小がある。にも関わらず、罫線があることによって全ての文字の造形が▢となり大きさが同等ということは、まず文字に対する正しい知識を身につける学習からスタートする必要がある。形よく綺麗にはめこみたいのであれば何も毛筆で書く必要はない。寸分の一も狂わない美しいものを目指すのであれば セブンイレブンでコピーでもしてきたほうが良いのではないだろうか。毛筆で書くとは一体どういうことなのだろうか。罫線があることで正しい文字を学び知る機会を失い、筆運びが慎重になりすぎて筆を動かすことができなくなり枠にはまった書が出来上がる。空間狭く窮屈となり運筆や線の伸びは感じられない。その結果、罫線下敷きでないと書けない状態が出来上がり、一度身体に染みついた感覚から中々抜け出せなくなってしまうのである。
目先の手軽さよりも書けるようになるために

以前、プロのフィギュアスケーターからこんな話を聞いたことがある。
フィギュアスケーターにとって感覚はとても大切なものであるという内容であった。1~2日間リンクを滑らないというだけで微妙に身体の感覚が狂ってしまうというのだ。特にジャンプに関しての氷上での身体の感覚が如実に出る。本人にしかわからないほんの少しの身体軸のズレによってジャンプが飛べるか飛べないが決まるという。そのくらい繊細な感覚が必要とされ、それらは日々の生活と練習の中で培われている。
これを書道に例えるなら筆を持つ感覚に匹敵する。筆にも手にした時の感覚があり、この感覚はとても重要であるということである。罫線ありの下敷きは確かに 目先のものでは楽かもしれないが、1度身についた感覚は良くも悪くも長く体に染み込む。 正そうと思った場合、これまで掛けた時間と同等もしくはそれ以上を要することもある。それくらい感覚は大切なものであり腕を左右する。普段の半紙お稽古からこの感覚を身につけることで、大きな作品書きや展覧会、公募展サイズへの対応ができるようになる。小さなものから取り組み大きなものへの発展には理由がある。
昔、近くのスケートリンクに何度か遊びに行ったことがある。 何箇所か回ってみたが不思議なことにどのスケートリンクにも黒い線は引かれていなかった。そんなのあたり前でしょ。と思わず苦笑してしまうかもしれない。目の前には、小さな子どもたちが楽しそうに自由にリンクを滑っている光景が広がっていた。時代は変化している。罫線ありのスケートリンク誕生もそう遠くはない話かもしれない。