33歳フリー女が新築を決めた「3つの理由」
(住宅ローンを活用しても購入した理由。)
書家
片岡 青霞
プロフィール
人生100年時代と言われていても到底現代人の多くが100年生きるとは思えないでいる。食、健康、環境のどれをとっても現代と戦後を生きた人々の違いは大きい。私たちの暮らしはとても便利になったが、その便利さが故に失ったものも多くある。 子供の頃には感じることがなかったが、年齢を重ねると共に人生が短いことに気づく。限られた人生、悔いなくやりたいことを先延ばしにしない人生にしようと常に思っている。一般的に住宅とは家族と共に過ごす場所や空間とされているが、自分は結婚する前に住宅を建てることとなった。世間から見たら一見風変わりに思える33歳フリー女が新築に至った経緯を紹介しよう。
①「空間」への投資
書道教室をやるのであれば何も新築を建てる必要はどこにも無い。貸家でもレンタルオフィスでもやることは可能である。 女性の場合、結婚して住宅が既にある際には自宅で書道教室を開塾することもできる。住宅を所有する人の多くは、一般的にまず結婚があり配偶者や子どもと毎日を過ごす暮らしの場となっているケースがほとんどだが、私のようにイレギュラーな人生を生きている人間も世の中には稀に存在している。
33歳フリー女が新築を決めた理由は一体何か。そこには主に3つの理由がある。
①「空間」への投資。②低金利な住宅ローン活用。③やりたいことを優先した人生を生きる。という3つの理由である。
「空間」への投資。1日24時間365日。自分が帰る場所、身を置く「空間」には一番の投資をしたいと思っている。 毎日の生活基盤が軸となるのは、自分が最も長く過ごすことになる空間環境によって施されると考えている。昔から「空間」へのこだわりが人一倍強く、静かに過ごせる場所は最高の幸福と安らぎをいつも私に与えてくれている。 空間が好きとはどういうことか。例えば、旅行へ行く時、めぐりたい観光地があるため旅行に出掛ける。観光地を巡ることを考えた上で周辺の近隣ホテルに宿泊するという流れが一般的であるとは思うが私の場合は少し異なる。「空間」が好きなので、観光地よりも先に宿から決める。宿泊してみたい宿を先に決め、その周辺で観光地として行けるところを探すという流れのプランを立てる。旅行に行くのだから観光地を巡るというケースがほとんどであると思うが、空間重視で選択するとなると旅行には出掛けるが一日宿で過ごすこともある。むしろ宿の「空間」でゆっくり過ごしたいという風に変わってくる。「空間」が人に与えるエネルギーや波動は目に見え無いが、五感が正常に働いていればそれらを感じることができる。それくらい自分にとって「空間」はとても重要な位置付けとなっている。
学びの環境を提供することは自分の一つの夢であった。結婚の有無に関わらず20代の時には学びの環境を提供する最良を目指すことを決めていた。あくまでもこうしたいと思い描きわかりやすく具現化したものが住宅であったということになる。自分が身を置く「空間」と学びの環境を提供する場として、「空間」への投資は必要不可欠なものとなった。
②低金利な住宅ローンを活用する
32歳の時、35年の住宅ローンを組んだ。
当時、教室を立ち上げて3年程の個人事業主には銀行の対応はとても冷たいものだった。 住宅を建てる時、土地探しに2年半掛かったがそれ以上に大変だったのがやはり資金面であった。個人事業主となると毎年行われる確定申告は大人の通知表のようなものとなる。お世辞にも胸を張れる内容では無かった。 はじめて住宅ローン融資の相談で銀行を訪問した時、“今の現状では借り入れは難しい。”との一言で門前払いをくらった。それもそのはず、自分は学業を卒業してからただの一度たりとも正社員として働いたことも無く、 パートナー不在の言わば独身女性、駆け出しの個人事業主というトリプルパンチ。我が家が代々続く資産家の家庭であるというならまた条件も異なるかもしれないが、残念ながらそれも該当しない。銀行側からすると属性としては一番下位に部類されるものとなる。個人事業主とは、先行き不透明な部分が多くとても不安定なものとして銀行側から見られる。現にその通りであると思うし保証などは何一つ無い。配偶者がいれば万が一自分が健康を害し就業不能や厳しい状況に立たされたとしても変わりにカバーしてくれる存在がいるため安心だが、私にはそれが無い。また、性別の問題もある。男女平等を公ではうたっていても日本の傾向を見ればまだまだ性による見方が乏しい。男性のほうが生涯においての仕事として見られる反面、女性の場合だとわからないことが多すぎるのだと感じた。大きなリスクと常に隣り合わせの自分の条件を見れば、銀行は真っ当なことを述べ個の信用の無さを評価しているのだと思えた。
…が、しかし。 このまま引き下がっては人生面白くない。それと同時に、不利な条件が私にやる気という火をつけることとなった。
当時、唯一住宅ローンの貸し出しを提示してくれた銀行の金利は2〜3%だった。こんなにも低金利な世の中であるというのに、自分に提示された金利の%に納得できず、融資を見送ることにした。 他の銀行が貸出し条件にそぐわないという中で考えれば、貸し出しをしてくれる銀行があるということだけでもとてもありがたく思えるかもしれないが、住宅ローンは長期に及んで返済することがほとんどである。確かに今すぐに建築することはできたかもしれないが、毎月の返済や日々の暮らしのことを考えるとこのまま進むことはできなかった。どうすればこの課題を打破できるか。自分の頭で考え、わからないことは調べ、そしてよく働いた。その結果、銀行から門前払いをくらった1年後には、他の銀行の融資も可能となり一般的な金利で借入れができるまでの属性となった。
大切なことは自分が納得できるまで妥協しないこと。断られても再度トライすること。私のようにこれだけ不利な条件からスタートしても、ごく一般的な金利での融資を可能なまでにもっていくことができた。
住宅ローンはとても低金利な今の時代が最も活用しやすい。自分の年齢を考えてもあまりにも遅いスタートになってしまっては返済期間や年齢も踏まえて不安になることもあるだろう。35年ローンとなると返済終了が67歳となるが、正直この年齢まで返済をしようとは思っていない。多くの場合、世間では当初組んだ年数より早く完済するケースがほとんどのようである。住宅ローン返済を終えた人の平均完済が15年と知りとても驚いた。今は、共働き家庭が増えている。二馬力ならもっと短期間での返済も充分可能だろう。
③やりたいことを優先した人生を生きる
「人生あっという間に終わるよ。」
まだ幼かった私には、この言葉の意味と重みを受け止めることができず何となく過ごすこともあった。夢と目標を失い先が見えず、自分の人生こんなものかと悲観することもあった。それでも時は流れ、また日は昇った。
昨今、やりたいことが見つからないと悩みを抱える人が多い中、早い段階で好きなことややりたいことに巡り会えた自分は幸せである。心穏やかに日々過ごすことができることは、何よりも代えがたい幸を生んでくれている。そのきっかけを与えてくれたのは、人との縁やつながり書道を通じての環境によって成り立っているのだと思っている。
やりたいことを優先し人生を生きるとは、案外難しいことなのかもしれない。自分のやりたいことがあるにも関わらず、自分を取り巻く環境や状況によって思うように着手することができないこともたくさんある。時にはやりたいことを優先したがためにそうでないものを絶つことがあるだろう。“隣の芝生は青い”という言葉があるように、人生においてたくさんの選択肢が用意されている。 私たちの顔が皆違うように、自分の人生をどのようにして生きるのかは自分の選択肢に委ねられている。何か一つのことであの人すごいなと思えるような人は、事を成すと同時に多くの絶つべき物事を選択している。それでもやりたいと思えるかどうかは自分の心に手をあてて自分に聞いてみる必要がある。他の誰でもない、答えを知っているのはたった一人の自分だけである。
33歳の決断
家を購入したり新築する理由は人それぞれであるが、私は①「空間」への投資。②低金利な住宅ローン活用。③やりたいことを優先した人生を生きる。この3つを主軸としてフリー女性のまま歩みを進めた。
住宅メーカーに聞いてみた。フリー男性で家を建てる人はこれまでに何人かいたが、フリー女性の場合はいないようであった。多くの人にとって住宅を建てるとは、家族と共に過ごす空間となる。 私のようにイレギュラーなケースを除き、多くの場合家族と過ごす快適な空間として必要なケースがほとんどであろう。世間ではフリー女性で戸建てに住んでいるということにドン引きする異性もいるようだが、驚くような人とは一緒にはなれないし、ならないので安心して欲しい。
新築するということは、普通の人であれば一生に一度経験するかしないかの内容となる。一連を振り返ってみても一人で乗り切ることはとても大変なことであった。土地探しに2年半、ネットで土地を探しては不動産へ。時には看板も立てられていない土地を調べたり、気になるエリアは自分の足を使って歩いて調べた。決して妥協はしたくなかった。自分が思い描いた通りを具現化するには、妥協は時として邪魔なものとなってしまう。「良」ではなく「最良」を目指すことは、これからの自分の人生に大きな影響を与えてくれると思っている。
住まいの不動産を所有すると固定化されがちだが、私は決してそんな風には思っていない。これだけ多様化した時代において考えさえも凝り固まることがないようにだけは気をつけていきたい。どんな国や場所であったとしてもゼロから築き新しくスタートすることはできる。自分の生命がある限り、いくつになっても。