
相撲の世界に伝わる「三年稽古」が意味するものとは
(感情論では一つのことを継続できない理由。)

書家
片岡 青霞
プロフィール
「三年稽古」という言葉を聞いたことがあるか。相撲の世界に伝わる用語で、正確には「三年先の稽古」と言う。 今取り組んでいることはすぐに結果は出ない。今日明日の稽古を大切に自分の目標と成長に向かってきちんと結果が出るようなトレーニングをしよう。今の継続の学びは三年先に大輪の花を咲かせるためという意味がある。この言葉を知ったのは10年前。とてもいい言葉だなと感じたと同時に、書道に通じるものがたくさん詰まっていると思えた。ここでは「三年稽古」として、相撲の世界をのぞいてみようと思う。
自分の知らない世界から見えてくるもの

相撲とは、腰にまわしを巻いたはだか二人が土俵の上で取り組み、相手のことを押したり、突いたり、投げたりする力技によって行う競技の一種。 日本由来の武道、格闘技、スポーツとして国際的な認知度も非常に高い。 強い者が勝ち、弱いものが負ける。子どもでもわかるぐらいルールは単純明快で、 1度は力士同士の取り組みをテレビを通じて見たことがあるだろう。 東京墨田区にある両国国技館の周辺を散策してみると、たくさんの力士と遭遇することができる。初めて力士を生で見た時、その体の大きさと迫力に圧巻され思わず目を奪われた。 自分の普段住んでいる地域ではお目にかかることができない人がたくさんいる。あまりジロジロ見るのは良くないと分かっていてもそれでも目が自然と力士を追ってしまう。力士の人たちからしたら慣れていることなので何てことのない普段通りの光景だろう。
力士を目指すには、親方の主宰する部屋に入門することから始まる。力士の朝は早い。6時に起床し身支度を済ませ、すぐに土俵に向かう。 新入りは誰よりも早く土俵に入り、すぐに早朝稽古ができるよう準備をする。朝は体が硬いため柔軟運動は欠かせないが、力士の人達の体の柔らかさにはとても驚かされる。 朝一番から行うぶつかり稽古はまだ一日がスタートしたばかりとは思えない程ハードな稽古となる。 土俵の外で自分の稽古の番を待っている時ただ漠然としているわけではなく、他の力士の取り組みを見て勉強をすることはとても大切な機会である。見て学び盗むことには書道でも同じことが言えるだろう。「盗む」 というと、まるで人の物を勝手にあさり奪い取っている泥棒さんのように感じるが、 そういうことではない。着眼点を変えることでたくさんの気づきと発見を与えてくれる。 力士は基本的に部屋で集団生活を共にする。相撲に詳しくない人もお相撲さんがちゃんこ鍋を食べている風景を見たことがあるだろう。 そんなに毎食ちゃんこ鍋が出てきたら飽きてしまうのではないかと思うが、それでも食事はちゃんこ鍋なのである。力士にとって体を大きくすることは、大切な取り組みをするために必要不可欠なものとなる。稽古をするとは単に土俵での取り組みだけをしているということではなく、体を大きくするための食事、怪我を防止するための十分な休息、規則正しい日常生活。これらを総じて普段の生活全てが稽古になっているということであろう。
いざ稽古へ!参戦する、出向く、出陣する。
「先生、こんにちは!」子どもの頃通っていた町中にある書道教室は、自宅の二階がお稽古場所だった。当時通っていた教室は、お稽古時間の区切りは一応あったのだが、これはほぼないようなものであった。というのも、私が在籍していたクラスは土曜日16時からの時間帯であったが、ひとつ前のクラスの子たちの書作品が仕上がらないと帰してもらえないスタイルのため時間通りに入室できたということはほぼ無かった。教室に着いたらすぐに教室の中に入れるということは無く、玄関前に到着順にズラリと並び書道バック片手にひたすら待っていたのである。夏の暑い日も、 冬の凍えるような寒い季節も年がら年中外で待った。当時、私は時計を持っていなかったので今何時なのか気になってもわからなかった。自分の腹時計を頼りにいつもだいたいの予想を立てていたものだ。
入室の時は必ず決まって2階のベランダから「上がってください。」の声が聞こえる。この声掛けがあるまで例え入室の時間が過ぎたとしても教室に入ることは許されなかった。玄関にはおびただしい靴が散らばり、 他の生徒さんと靴を間違えないよういつも端の方に置いていた。薄暗く古い急な階段を手すりにつかまり登る手には自然と力が入った。右手に曲がるとすぐに教室がある、第一声は必ず挨拶から始まる。入室順から席に着席することができるが、最後の方に並んでいた子達は前のクラスで居残りさせられている子が数名おりまだ席が空いていないことからここからさらに待つこととなる。基本的なお稽古のスタイルは、その日書作品を一枚仕上げてお清書が終わった子から帰れるというものだった。なので終わらなければ延々と居残りをして書いて一枚仕上げていかなければならない。一時間のお稽古枠ではあったが、私は早い時で30分。遅い時で2時間の居残りを経験した。
当時通っていた書道教室は街中でも有名なスパルタ先生。入室のための待ち時間が長いということは、先生のご機嫌が本日は非常に悪いことを意味する。幾度となく自分やクラス全体へのとばっちりが来る日だということを心にとめてお稽古に参戦した。この状況を例えるなら、まるで戦国武将がこれから敵陣に襲撃するようなそんな心境であった。 いつもお腹が痛いような気がしていたが確実にストレスで痛かった。教室へ向かう前のトイレは欠かせないものとなっていた。今日は先生のOKサインがどのくらいで出るのか。なかなか合格が出ず怒られて居残りとなったら嫌だな…。幼いながらも張り詰めた緊張感の中で私は書道と向きあっていた。
青瑤展を3年に一回開催する理由

先日、 社中展となる青瑤展を開催した際に会場の中で元生徒さんと出会った。彼女に案内の通知を出していなかったにも関わらず、栃木県総合文化センターに置いてあるDMを発見して青瑤展を見に来てくれたのである。数年ぶりの再会はとても懐かしく話が弾む。そこには、風貌も明るさも全く変わらない彼女の姿があった。 彼女はお母さんの介護とサポートのために自分が面倒見なくてはいけないという中で書道を続けてきたが、仕事と介護のことで手一杯となり退塾に至った。それでも書道は好きなようで自宅で仮名の勉強をしているようだった。今回の青瑤展で私が仮名の作品を出品したことに彼女はとても驚いていた。彼女の在籍していた頃、私は仮名作品を出品することがなかったからだ。 彼女は私が仮名作品を出品したことを誰よりも喜んでくれていたのかもしれない。それを表情と声のトーンから読みとることができた。彼女と会話した数分間の中で、「三年稽古」に関することを言われた。 自分が教場で学んだ中で、一番印象に残っているのがこの「三年稽古」だというのだ。正直驚いた。当時を振り返ってみても、確かにこの言葉を生徒の皆に紹介はしたけれど、そんなに何度も口酸っぱく言っていたかな?と一瞬考え込んでしまった。 あの時先生に言われた「三年稽古」を今も自分の心の拠り所にしているのだという。こんなに嬉しいことは無かった。
現代では「すぐに」「早く」といった時間効率優先主義の人が大半かもしれないが、何かを手にし自分のものにするということは一定の時間と期間が必要であると考える。ましてや書道のように線活動が命のものとなると、そんなにすぐには変わらないだろう。青瑤展の開催を3年に一回としているのは、相撲の世界から伝わる「三年稽古」の教えからきている。一時の熱い気持ちによる感情論に苛まれていては、一つのことをものにすることは限りなく難しいだろう。感情で動く人間は同じことを繰り返す。巷のブームにあやかって軽く飛びつき、軽く手放す。例えモノが変わっても同じことを繰り返してしまうのだ。
日々の稽古に派手さは無い。

結果が出るまでに3年もかかるのか。もしくはたった3年足らずでいいのか。子どもが耳にする3年とはとても長いものだが、 大人にとっての3年は寝て起きて気づけばすぐだ。日々の稽古は3年先を見据えた上でおこなっている。全ては今すぐにではなく、これからの未来において大輪の花を最も良い状態で咲かせるためだ。 書道の展覧会や公募展を目にすれば、とても華やかな世界に思えて熱い気持ちになる。しかし、日々の稽古でコツコツやっていることは実に地味な単純作業の連続だ。急騰した感情は急落も早い。相撲の世界では、強い者が勝ち生き残る。弱い者は負けその場を去る。勝負事の世界は明暗がはっきりしておりとてもシビアな世界だと思う。 その一方で芸術というものは勝敗ではなく、技量に加えて人間一人ひとりがもちあわせる心や表現を作品を通して映し出してくれる。
3年経過したのに思うような成果を手にしていないことも十分にあるだろう。「三年稽古」と聞いて信じて頑張ってきたのに、自分は何も変わっていないと思うこともあるだろう。 大丈夫だ、狼狽えるな。3年を一つの区切りとして幾度かの年月を迎えようとしている。私は一体いつになったら大輪の花を咲かせることができるのであろうか。