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【偉人変人】通常とは逸脱した書の道を歩む者

【偉人変人】通常とは逸脱した書の道を歩む者

(「楽しむ(fan)」「夢中」を通り越し「ドハマり」した者たち。)

書家

書家
片岡 青霞
プロフィール


 書道を学ぶ。と一概にいってもどれだけやるかということは人それぞれ異なる。書道を「楽しむ(fan)」を目的にする人もいれば、 長く継続することによって「夢中」になる人もいる。 「夢中」ぐらいの段階までは楽しさがあると思うが、中には毎回のお稽古時に腹痛に耐えながら勉学に励んでいる者もいる。数は少ないが、世の中には「夢中」を通り越し「ドハマリ」した人たちが存在する。この「ドハマリ」した人たちはどんな書道人生を送ってきたのか、または現在送っているのかに迫る。

「楽しむ(fan)」「夢中」から「ドハマり」へ

時間を忘れておままごとに夢中になる姉妹。

 何かを学ぶということは、大きく3段階に分けることができる。①「楽しむ(fan)」②「夢中」③「ドハマリ」 この3つである。
 
 ①「楽しむ(fan)」は、 学ぶにあたって最も大切な段階。学習の根本はここが土台と言っても過言ではないくらい、楽しいという思いが絶対的に必要となる。②「夢中」は、時間を忘れて没頭している様子を表す。誰かに諭されるということはなく、 自らが率先して学習をすることになるため、気づけばつい時間を忘れてしまう段階に至っている。③「ドハマリ」は、 一般常識では考えにくい普通の人が成し遂げないことを平気な顔をしてやっている人のことを示す。 人生において書道にかけてきた時間・お金を占める割合は大きく、一歩間違えれば周囲の人から偉人変人と思われてしまうような人たちのことである。世の中には、同じ書道を学んでいるはずなのにとても同じものをやっているとは思えない偉人変人が存在する。現代よりも一昔前の方がはるかにその割合は大きかった。言い方を変えれば現代人は、生ぬるい湯銭に浸ってくつろいでいるように感じるかもしれないが、そこには一つ時代が関係しているのではないかと考えられる。

  物事を学ぶ上で最も楽しい状態をキープしたいのであれば、「楽しむ(fan)」「夢中」の2つの領域で十分である。ほとんどの場合がこのどちらかに当てはまるはずである。 十分学習できるし何より楽しむことができる。しかし、「ドハマリ」の領域はそうはいかないことが多くなってくる。コンスタントに一つのことを長く一定の速度で学習することは常に穏やかな海を自らが心地よい船に乗り横断するようなものである。それはそれで素晴らしいが、人よりも頭一つ分出るためにはそうはいかない。自分の心地よい学習速度に浸ることは出来ず、とことんやりこむ時期はほとんどの場合荒波のケースが多い。大きく上下に振られながらも船に必死にしがみつくことが増していくのである。普通ならここで多くの者が大海原に振り落とされることになるが、「ドハマリ」している人間は決して船から振り落とされない。 「ドハマリ」の人生経験はとても色濃い。これまで修羅場をくぐり抜けた経験値もかなり高い傾向がある。年齢に関わらず、同様のことが言えるように思える。

「ドハマり」した書人

当たり前の基準が高い者たちはどんな人生を送ってきたのか。何がきっかけでそうなったのか興味関心が沸く。

 書道を学んでいる人は昔も現代においてもたくさんいるが、「ドハマリ」した書人たちはどんな書道人生を送ってきているのだろうか。

・大作用の筆200万円を借金して購入した者
家が資産家でボンボンの暮らしが成り立っている者であれば、余裕で一括支払いができるかもしれない。しかし、現実は異なり20代前半で良質な大作筆を手にしようとするならば、学業を終えたばかりの者にとってこの金額がどれだけ大変なことなのか想像できる。考えてみてほしい。 20代前半、200万円あったら何に使うのかを。間違えても何十回払いをしてまで書道筆を購入しようとする者は少ないということだ。

・仕事を辞めた者
仕事をしていては書道ができない。という単純な理由で、書道をやるためにこれまで続けていた仕事を辞めてしまった者がいる。仕事をしていては、書道に割くための時間がなく満足のいく学習ができないためだという。

・書道をやるために家を売却した者、建築した者
昔こんな話を聞いたことがある。書道をやるためにお金が必要だったが、家が貧乏でお金を捻出することができないため家財道具を売った。売るものが無くなったため最終的に自宅を売却したという内容であった。このような人を前にして、“続けるための金銭が無い。”などという言葉は軽く口にするものではない。笑われて話が終わってしまう。

・書に生きるため独身を貫いた者
現代であれば、独身貴族が増えているため何も驚くことはないかもしれないが、戦後を経験した人たちの中で書に生きるため独身を貫いた者が多々いる。特に女性であれば、 早期に結婚し家庭に入り子を授かるという時代。世間からの風当たりも現代よりもはるかに強かった時代。ほとんどの方々が当たり前のように歩んできた道を逸脱し書の道を歩んだ者は並大抵の精神ではないということである。

・毎月のお稽古に飛行機通いした者
月2回のお稽古に飛行機で通っている強者がいる。何年もこのスタイルを続け教室を開いているわけでも人に教えることもなく、ただ自分の学びのために毎回の書道お稽古に足を運んでいるそうだ。「少し距離があるので飛行機で通っています。」…いや、かなり距離があるだろう。と思わずツッコミを入れたくなるが、平然とした顔で淡々と述べている。

 「ドハマリ」例を挙げてみた。「ドハマリ」するとは、好きで趣味でやっているという領域とは異なる。絶対数は少ないが世の中には変人が少なからずいるものだ。

「ドハマり」が引き起こすメリット・デメリット

 書道をはじめた時は、「楽しむ(fan)」「夢中」であったが、気づけば「ドハマリ」の領域に足を突っ込んでいたという人もいるのではないだろうか。ここまで、「ドハマリ」に対するイメージが、もしかするとあまり良くないかもしれないが「ドハマリ」にはメリット・デメリットの二面ある。

 メリットは、書道という熱く情熱を傾けることができるものに出会えた喜び。幸福。楽しさ。生きがい。やりがいなどである。一生涯において長くできるもので考えると書道はその一つに入る。 スポーツで考えると、現役で最もパフォーマンスが良い状態というのは、多くの場合若い年齢がものを言うが、書道の場合は真逆となる。若い頃にしか書けない作品や書線が存在するように、年齢を重ねた者にしか書けない作品や書線がある。年齢と共に人の深さが線に滲み出てくる。それをたった一本の筆で見せる芸術というのだからよくよく考えれば書道はとてもすごいものであると感じている。

 デメリットは、 世の中には他にも楽しいことがたくさんあるが「ドハマリ」したためそれらを体験する機会を喪失するということだ。 配偶者がいる場合、家族の理解が必要になる。「ドハマリ」をすると、通常よりも時間とお金をここに掛けることとなる。そのため世の中にある数々の素晴らしいモノ・人・場所等に触れずに終わるということも十分にあるということだ。 「ドハマリ」した場合、自分の学習のために自宅で書道をするだけではなく、展覧会鑑賞、錬成会、集会、その他。書道のために仕事を休むことはあたり前となる。20代の頃、有給休暇は全て書道に割いた。そこに何も疑問を持つことは無かった。仕事を優先している段階は「ドハマり」の領域へは進めない。「楽しむ(fan)」「夢中」で留まるべきであろう。

自然と内から湧き上がる情熱

情熱は故意につくられたものでは続かない。自然と内から出るものでない限り、偉人変人への道は開かれない。

 今のあなたの書道に対する領域は、「楽しむ(fan)」「夢中」「ドハマリ」の一体どれに当てはまるだろうか。
 
 「楽しむ(fan)」「夢中」の2つの領域は、書けない苦しみを感じることはあるが、とても心地よく楽しく書道をすることができるだろう。 多くの場合ほとんどの人たちはこの領域に属することになる。
 「ドハマリ」の領域は、 普通の人では中々慣れない。なろうと思ってなれるものではなく、内から湧き上がりごく自然体な書への情でない限り、継続はおろか一時の泡のように儚くすぐに消えてしまうだろう。 普通という感覚は人それぞれ異なるが、「ドハマり」人による当たり前の基準値は人よりも高いため、普通や常識は通用しないということである。

 定期的に自宅メンテナンスのため業者さんに修理をお願いする。何も伝えていないが、業者さんからはなぜか「奥さん。」と呼ばれ、帰宅時には、「旦那さんによろしくお伝えください!」と言われる。最初は経緯を業者さんに伝えていたが、いくつもの業者さんが同じような感じのため今では何も言わず、満面の笑みと返事をして対応をしている。架空の旦那は永久海外出張ということにでもしておこうか。これはこれで悪くない。

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